私スタイルのジュエリー

Trifari(トリファリ)

 Trifari_00

コスチュームジュエリー界の王様

 

コレクター垂涎の的から日常に愛用できる物まで 幅広いラインを持つTrifari(トリファリ)は コスチュームジュエリー界の王様といえる存在であり、わがYKコレクションにおいても重要な位置を占めています。

個人でコスチュームジュエリーを楽しんでいた時には、一部のコレクターズアイテムを除けば、ハスケルやジョセフといったデザイナーと比べ さほど強い個性のないブランドと思っていましたが、YKコレクションを始めてみて その魅力を再認識しました。

 

何といっても素晴らしいのは 一見オーソドックスでさり気なく見える物も、人が身に着けた途端、エレガントなジュエリーへと変化するのです。これはTrifariの洗練されたデザインと精巧な作りがあってこそのこと。決して主張しすぎないTrifariのジュエリーは年齢やTPOを問わずに楽しむことが出来ます。

 

 トリファリブローチ

 

Trifariの歴史

 

<ラインストーンキングと呼ばれるまで>

創業者のギュスタヴォ・トリファリは1883年 ナポリに生まれました。17歳の時からすでにジュエリーのデザイン製作をしていた彼は 1904年アメリカに移住してジュエリーの会社に就職し、オフィス管理とデザイナーとしての才能を発揮しました。5年後退社し、伯父をパートナーとしてコスチュームジュエリーを製作する会社 Trifari & Trifariを設立しました。1912年 この会社は解散しましたが、ギュスタヴォは再度 Trifariの名で会社を興し、主に石のついたヘアーオーナメントを販売しました。その後 レオ・クラスマンがセールズディレクターとして加わり、管理責任者となり、幅広いデザインのファッショナブルなコスチュームジュエリーを生産していきました。そしてカール・フィッシェルが加わると社名をTrifari, Krussman & Fischelに変更し、3人のトロイカ体制のもとに会社は発展していきました。

 

1930年、Trifariを比類のない成功へと導くことになるアルフレッド・フィリップ(Alfred Philippe)がチーフデザイナーとして加わりました。フランス人のフィリップは それまでカルティエやヴァンクリーフ&アーペルのためのコレクションをデザインしていました。宝石を使ってファインジュエリーを製作していたフィリップが加わったことで、模造ガラスも宝石と同様の方法でセッティングされるなど、品質が著しく向上し、デザインにも革新的な物が生まれました。

 

こうして Trifariは「ラインストーンの王者」と呼ばれるようになりました。フィリップの登場はTrifari社のみならず、アメリカのコスチュームジュエリー製作においても新しい局面を開くことになり、今日までファッションの世界に影響を与えています。彼はその後 約40年間Trifari社で働きました。

 

トリファリの広告

ヴォーグ1950年3月号の広告

 

<成功の秘訣>

Trifariがブロードウェイミュージカルのためのジュエリー製作を依頼されると、本物の宝石を真似たジュエリーの需要はますます高まっていきましたが、Trifariの成功の秘訣の1つは「Jewels by Trifari」のキャッチコピーのもと、全米に行きわたる広告宣伝を行い、流行に影響を与えるジュエリーを作っていったとことです。そこでは本物の宝石と同じ様に価値のある物であるということも伝えていますが、これは当時のファッション雑誌に載った広告を見ると よく分かります。又、流行だけでなく多くの人々の趣向に合うように幅広いラインのデザインを用意したことも、息の長いブランドとしての地位を確立することに繋がりました。

 

1942年第二次世界大戦に参戦したアメリカ政府からホワイトメタル、特に錫の使用禁止令が出ると、Trifari始め多くのメーカーはスターリングシルバーを使用するようになりました。スターリングシルバーは当時大衆だけでなくデザインチームや制作者にも人気があったので、Trifariでは錫の禁止令が解かれたのちも使い続けました。又 1947年 シルバーに代わる素材として開発した合金のトリファニウムを導入しました。これは柔らかいアルミニウムをベースにしたメタルで比較的軽く 複雑な形に鋳造することができ、ジュエリーの大量生産にも役立ちました。

 

<ファーストレディの支持により不動の地位を獲得>

1953年、アイゼンハワー米大統領夫人が夫の就任式にTrifariの模造パールを着用したことで、Trifariの人気は最高潮に達しました。事実上のコスチュームジュエリーの時代の到来であり、Trifariとコスチュームジュエリーを中央舞台へと押し上げる結果となりました。大統領が二期目を迎えた時、夫人はTrifariに二度目の就任式のためにパールのセットジュエリーをオーダーしました。

また1953年 Trifariは英国のエリザベス女王の戴冠に敬意を表して「王室」をテーマにしたシリーズを製作しました。女王の戴冠用ガウンをデザインしたノーマン・ハトネルは彼の店でこれらのジュエリーを販売し、瞬く間に大流行となりました。

 

コスチュームジュエリーはビッグビジネスとなっていきましたが、Trifariのような大手の会社になると、作品を発表するとすぐに他の会社がコピー製品を売り出すという問題を抱えていました。当時

は発明や手法について特許を得ることはできても、デザインに関しては守る手立てがなかったのです。そこでTrifariはこれを法廷に持ち込み、ジュエリーデザインは芸術品であり、それゆえに保護されるべきだと主張し、この後 全てのTrifariの作品にはコピーライトのマークが付けられるようになりました。

 

1968年 アルフレッド・フィリップの退職とともに、Trifariの興味深い作品のラインは終焉を迎えました。Andre Boeufら他のデザイナーが彼の地位を引き継ぎ、3人の初代のラインストーンキング達は会社を息子達に譲りました。1957年にホールマークコーポレーションに売却された後は 次々とオーナーが代わり、現在はリズ・クレイボーンがオーナーとなっています。

 

代表的な作品

幅広いラインで製作を行ってきたTrifariの作品の中でも代表的な物をいくつかご紹介します。

 

<フルーツサラダ>

アルフレッド・フィリップの代表作の一つ。

1920年代、カルティエがインドのマハラジャのために製作したTutti Frutti(トゥッティ・フルッティ)のシリーズを真似て作ったもので、元となっているのはエジプシャンリバイバルとして作られた、当時人気のあった「豊穣」と「多産」を表すエジプトの「Tree of Life」のモチーフです。本来はルビー、エメラルド、サファイアといった宝石に彫刻を施して花や果実の形にするのですが、Trifariでは鋳型に入れて葉や小さな果物の形をしたガラスを作りました。

写真のブローチは1940年代の物。Vermeil(銀に金メッキを施した物)に小さなクリアーラインストーンとともにコーラル、ターコイズ、ピンク色のガラスがセットされています。裏にはダブルピンが付いていて、この年代の作品の特徴を表しています。

 

トリファリジュエリー

 

<クラウン>

Trifariの中でも最も有名な作品といえるクラウンのブローチ。このシリーズはマイナーチェンジを加えて何回か製作されました。

 

トリファリクラウンブローチ

 

<エナメル>

19世紀末のパリ万博でティファニーなどの宝石商がエナメルでライラックの花のジュエリーを発表し流行となりました。Trifariもメタルにエナメルで色をつけた美しい花のブローチを沢山製作しました。左の写真の作品は大きなヒアシンスのブローチ。やはりこちらもダブルピンが付いています。右は可愛らしい印象の花籠。

トリファリブローチトリファリブローチ

 

<昼間のジュエリー>

1950年~60年代の初めにかけて、Trifariはテクスチャーを付けたギルトメタルのジュエリーを大量に生産しました。当初は ほとんどがパルール(ネックレス、イヤリング、ブレスレット、ブローチのセット)で作られましたが、長年の間に解体され失われてしまった物もあります。通常は模造パールやラインストーンがセットされています。残っている物は昼間のどの服装にも完全にマッチするジュエリーとみなされ、40年の間 ディーラー達によって扱われてきました。

これらの多くは 一般の多くの人々のために作られ、唯一のトリファリジュエリーとしてこれらのラインを楽しんだ人々も多かったようです。デザインは、 葉、花、小果実、ドングリといった有機的な物や抽象的なデザインなど多岐にわたっています。

 

左からオリジナルケースに入ったブローチとイヤリングのセット、リボンモチーフのネックレス、ホワイトメタルのブローチ、パールとホワイトメタルの上品で美しいネックレス。

 

トリファリジュエリー

 

 

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